彼女はなぜ手話を使わないのだろう

この写真は、私の患者さんからの手紙と差し入れのパンです。

「河野先生へ さし入れです♡
私がはたらいているパンですが 私からパンをあげるよ。
良かったらたべてください」

kouno

沢山のパン。みんなでありがたく戴きました。

彼女は、14才の時から私のクリニックに通っています。ろう学校の生徒でしたが、学校の寮ではなく、施設で暮らしていました。そこは、ろうとほかにも障がいを持った人、「重複の障がいのある人たち」が暮らしている施設です。盲ろうの人や、ろうと知的障がいのある人とか。初めは施設の職員の方と、その後は、付添いなしで、一人で来ることもありました。今、28才。高等部を卒業して、ずっと作業所のパン作りに携わっています。もう、すっかりベテランです。

私のクリニックには、聞こえの不自由な方がたくさん来られます。毎日来られます。その方たちに少しだけ手話を教えて戴いています。それは、必要に迫られてのことです。
「どこが痛い?」とか、「血液を採って検査をしますよ」とか、「薬はのみましたか?」とか。
出産をしたご夫婦には「赤ちゃん元気?」とか。それらや、時に筆談や口を読んで戴いてなどでコミュニケーションを取っています。

しかし、彼女は、全て「書いて」と言います。一枚のメモ用紙に彼女が書き、私が書き、だから字が反対向きになったりしていますが、それをそのままカルテに貼り付けます。会話がそのままなので、私が会話をまとめて書くよりも正確です。書くスピードは速く、それで細かなことまでちゃんと会話ができます。

今回、『「デフ・ヴォイス」法廷の手話通訳士』の丸山さんの講演会にご縁が出来て、ふと、「彼女はなぜ手話を全く使わないのだろう」と考えました。かつての学校や寮や職場では、きっと手話で会話しているのだと思います。私のようなかたことの中途半端な者の手話では、十分に会話ができないと思われているのでしょう。

外国の方、たとえば英語はともかく、韓国語、中国語、スペイン語、ポルトガル語、タガログ語、などの方たちには、片言でも、単語一つでもその国の言葉を使えば、ニコッと笑顔で親しみを持って下さいます。手話をも、そのような甘い考えでいることを彼女は見破っているのでしょう。

手話は一つの言語。簡単に習得できるものなどではないことを私に突き付けているのだと思いました。きっと私はこれからも、彼女とは、筆談のみで会話を続けるでしょう。

ところで、戴いたパンの袋の中に、レジのレシートが入っていました。それで、彼女は自分の施設で作った物をちゃんと買って来ているのだとわかりました。高額でした。これはいけない、お金を払うと言ったのですが、ガンとして彼女は拒否しました。それで、施設のお店で売っている物を注文することにしました。自家製の無農薬のお米や、パンケーキやクッキーなど。もうすぐそれらが届くはずです。楽しみに待っている所です。

河野美代子

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『デフ・ヴォイス』を初読、二読、三読と回を重ねるごとにその事の重大さが

『デフ・ヴォイス』を読んで、ショックを受けたフレーズはこれだった。
「ろう者にとって手話は言語である」
「日本語はむしろ第二言語なのである」

初読、二読、三読と回を重ねるごとに、その事の重大さが深まっていった。
それは、「ろう者にとって手話は表現手段である」というレベルから、「手話は感情や意志や主張や論理や、さらには文体までも内包するもの。つまり言語なのだ」という高みへの理解を意味した。

著者の丸山さんは、小説家らしくこれを分かりやすく表現している。
「ろう者は寝言も手話で言うし、手話でジョークも言う」と。

「本当か?」と思ったあなた。
講演会でぜひ質問してくだされ。

実行委員会代表 塩崎周司

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作者の丸山さんに会ってみたい

「はるめ、おまえこれ読んでみろ」ってShiozyに渡された『デフ・ヴォイス』。
読み終わった日、私の中の手話が単なるコミュニケーションツールのひとつって認識から日本語とは別の独立した言語であるって認識に変わった。

ろう者と聴者って言葉、概念も初めて。
ろう者の親を持つ聴者の子(コーダ)の存在も考えたことなかった。

この小説はサスペンスだけど、謎解きよりも「手話は言語である。ろう者の文化がある」ってことの目からうろこ的な感動。
う~ん この気持ちうまく表現できないなぁ。

読みながら、1人の笑顔が浮かんでいた。

昔 書店員をしてた時に出会ったその人は、ミュージシャンのビキンに似た目のくりくりとしたお父さん。注文は筆談かFAXでのやりとり。
目をくりくりさせてにっこり、OKって指で表現してくれてたなぁ。

ビギン似のおとうさんとのやりとりには声はなかったけど、私の耳には「おっけー」って聞こえてた。あれは私が聴者だから、音が聞こえてたような感覚だったんだろうか?
なんてことをつらつら頭に浮かべながら読んでいた。

普段意識してなかった、聴こえるってこと、手話は言語であるってことを理解させてくれた作者さんに会ってみたい。
この講演会で、どんなお話が聴けるんだろう? わくわくわくわく♪

高杉 佐由美
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耳の聞こえない家族に、歌手になりたい夢を伝える物語

2014年フランス映画「エール」

「耳の聞こえない家族に、歌手になりたい夢を伝える物語」

主人公のポーラは、フランスの片田舎の酪農家の娘というか少女。
彼女の両親と弟はろう者。彼女は耳が聞こえるコーダ。
ろう者の家族に代わって、手話を話し言葉に変えて伝えるのは彼女の役目。
自家製のチーズをマルシェで販売しているときも、母は笑顔の役目、彼女はお客対抗して販売する役目。
実直な父が、気に食わない村長に対して、手話で罵っても、それを訳して話すときに大人の返事をするのも彼女の役目。
牛の飼料の買い付け交渉も彼女の役目。
ろう者の家族と健聴者の社会をつなぐのが、彼女の役目。

朝の食事風景は、たいていは家族の会話で賑やかだが、彼女の家では、鍋や釜がカンカンとぶつかる音や、皿にナイフやホークが叩きつけられるようなガチャガチャとうるさい朝食風景。
ポーラは、家族の中での自分の役目と、不快な音で騒がしい家に少しうんざりもした日々を過ごしていた。

彼女がそんな日常から開放されるのは学校。ポーラが歳相応の少女らしくいられる場所であり時間だった。
家庭では気落ちしているような表情も、明るくイキイキとする。
そんな学校生活で、どのクラブに入部するかというときに、ごく普通の少女らしく憧れの男子が選んだコーラス部に入った。

ここから、彼女の気持ちや人生が変わっていく。
家族の面倒をみながら、酪農家として人生を過ごしていくのだろうと、漠然とみていた将来が。
コーラス部で担当の先生に、ポーラの歌声の素晴らしさが見出される。
先生に、パリの音楽学校のオーデションを受けて見ないかといわれる。
パリに行くことは家族を見放すことになるから、ポーラは悩むが自分の将来が開けていくことを諦めることはできなかった。
親友が、手話を覚えて彼女の家族の手助けをしてくれると、後押ししてくれた。
パリの音楽学校のオーデションを受けることを家族に言えないままに先生の家で放課後レッスンを重ねる。
オーデションの日にちが迫って来た時に、家族のこの事を伝えると、母親は猛反対。
ポーラが生まれて時に耳が聞こえるとわかったときに、「育てる自信ないと」おもったが、ろう者として育てようと言った夫の言葉を信じて育ててきたのに、やっぱり違う世界に行ってしまうとい不安が、母親を悲しませてしまう。
そして、彼女は夢を諦めてしまう。

コーラス部の発表会に家族は出かけた。音楽や歌なんて聞こえやしないのに。
ポーラがコーラス部の皆と一緒に歌うのは、とても楽しい合唱。
観客は、ノリノリで盛り上がっている。ポーラの家族は周りの雰囲気を見て確認して盛り上がっているふりをする。
次は、ポーラが男性と二人でのデュエット。
二人並んで、ひたすら歌うだけでアクションはない。
観客も聞き入っているだけで、小さな子供さえも微動出せずの聞いている。
無表情の人、悲しむ人。
彼女の家族は、周りを見てもどんな歌なのか全くわからない。途方にくれるだけ。
ポーラが歌っていたのは、悲しい恋愛の歌。シャンソンかな?

その夜、外で夢を希望を諦めて落ち込んでいるポーラに父が近寄り、あの曲を歌って欲しいと頼む。聞こえないのに。
彼女が歌い始めると、父親はそっと彼女の胸元に手をあてる。
手のひらでから伝わる振動で、歌を聞く。
そういえば、父親の車には、とても大きなスピーカーがついていて、大音量で音楽を流していた。日頃から父親は肌で音楽を聞いていたのだ。

まだ夜が明けない時に、家族で車に乗り込みパリへ向かった。オーデションを受けに。
肌で感じたポーラ歌、彼女の希望や夢や将来を考えての家族の決断だったのだろう。

オーデションでは審査委員も彼女の歌に聞き入る。
でも、歌が聞こえないポーラの家族には、審査会場には彼らしかいないし、審査員がアクションをするわけでないので、どうなっているのか不安でたまらない。
そして、ポーラは、歌いながら手話を始める。歌詞を手話にし音楽に合わせて。
歌に彼女の気持ちを載せて、手話で歌詞だけでなく、手の動き腕の動き指先の動きで彼女の気持ちも心も家族に伝わるように。
耳が聞こえない彼女の家族にも、ポーラが歌う音楽の素晴らしさが伝わる。

ろう者の家庭のこと、ろう者を取り巻く社会のこと、恋愛あり笑えるところもあり、笑って、泣ける、とても心が暖まる映画です。

映画館での上映は終わっていますが、レンタルDVDがでています。

公式サイトはこちら→http://air-cinema.net

やんじ

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ろう文化とは無縁で過ごしてきた

仕事柄、「手話のことや、ろうのことご存知でしょう」、と言われることもありますが、実は全然そんなことはなくて、日本手話と日本語対応手話というものがあると知ったのもそんなに前のことではないのです。

たしかにろうの方と接する機会は世間一般よりほんのちょっと多かったかもしれませんが,ほとんどの場合は音声言語文化になんらかの形(口話法や通訳,筆談など)でつきあっていただいたので、ろう文化とは無縁で過ごしてきたと言っていいように思います。

しかし、これは文化の違いを取り扱うソーシャルワーカーとしてはちょっとどうなのよ、ということになります。例えば細かくみれば、ひとつひとつの家庭は異なる文化(文化と言うと大げさなら行動様式と言ってもよいですが)を持っているわけですから、言葉が違えばなおさらかもしれない。

そういうことをアタマに刻む一助になると期待しています。

宮原 浩智

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