謎が解けた 30年以上前の「?」の答えがデフ・ヴォイスに

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障がいのある人との関わりとなると幼少期になるが、今回のような「手話」ということになると、中学2年生の時に同じクラスになり、それからとても大切な友人として長年付き合ってきた彼との話になる。

中学の2年間同じクラスメートとして過ごし一緒に悪さもした。高校からは別々になっても中学の頃のよりも一層親しくなった。彼は、幼少期の病気により片足に十分に力がはいらないため、リズミカルに歩いたり走ったりはできないという障がいを持っていたが、私たちには走るのが遅いだけの友人であり、だから特別なことを持って接することはなかった。ちょっと悪ぶれた言い方をするときもあるが、根は優しく、特に小さな子どもや老人などの社会的な弱者には特別に優しかった。

大学の頃、いつもように彼の家に遊びに行くと「手話の本」があり、「どうしたのか」と聞くと、「習い始めた」と。私も、その本を見て友人に教えてもらいながら手話の真似事をしたが、本気でないから覚えることはなかった。

ある日、彼と街中を歩いていると、同じ年くらいの男性達と挨拶をしたと思ったら、手話で会話を始めた。ちゃんとまじめに習得していたのがわかった。後で「誰?」と尋ねると、「一緒に手話の勉強をしている」と。彼の返答に、頭のなかに「一緒?」が浮かんだが、それの答えを求めることなく目的の場所に向かった。

数年後、街中で知り合いらしき男性とまた手話で会話を始めた。その手話を横で見ていると、なにか違うと感じた。以前見た手話やテレビなどで見る手話となんとなく違っているように思えた。後で「なんか手話が違う?」と聞くと、「ちょっと違うと」答えた。この時も深く追求することはなかった。

「デフ・ヴォイス」を読みながら、頭の奥底にあり、ほとんど思い出すようなこともなかった昔のこのことを思い出していた。30年以上前の遠い昔に自分の中に生まれた2つの「?」の答えがこの本の中にあったからだ。

その一つは、ろう者の同じ年くらいの男性と一緒に手話を習っていた事への疑問。ろう者の人達は子どもの頃から手話を学びできるものと思っていたので、どうして彼らが友人と一緒に学ぶ必要があるのか?

ふたつ目は、「手話が何か違う?」という疑問。ろう者の人達の手話での会話を街中で見かけることがあるが、その手話は、テレビで見る手話通訳となんとなく違って見える。テレビでみる手話通訳は、両手を使って綺麗な動きに見えるが、ろう者の人達は、ほとんど片手で会話している。それも簡素な動きだが、その動きから感情らしきものも伝わってくる。

この2つの疑問の答えが何なのかは、ぜひとも「デフ・ヴォイス」を読んで確かめてもらいたい。この答えが私達が知らなかったろう者の人達の世界が少しは理解できるかもしれないと思う。

「デフ・ヴォイス」を読んだことで謎が解けたことを、昔を思い出しながら友人にこの話をして彼の答えを聞きたいが、もう彼はいない。

やんじ

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